会の活動

第1回 QOL対談テーマ

「福祉とアート」

[QOLを考える会] 理事長 曽 川  郁 夫 フォークアート作家 バルーチャ美知子

曽川 本日は、ご多忙のところ、ありがとうございます。
バル どうも。お久しぶりです。
曽川 バルーチャーさんはアートの世界、私は「QOLを考える会」という福祉の世界で生きてきたわけです。
一見すると、関係がないと見える二つの世界ですが、人間と社会、生活の質の向上という意味で共通しているのではないのかというのが、本日のテーマです。
バル 曽川さんのお仕事も、いままでなかったところから、新たなものを創ってきたと思うんですけど、アートも、もちろん、そんな意味がありますね。
曽川 と、おっしゃると?
バル ええ。私がやっているアートの世界は言ってみれば、何もないところからカタチを創るということです。それは自 分が意識をして、自覚するというところからはじまるわけです。意識しなければ何も生まれません。
曽川 なるほど。
バル 「21世紀は、皆がアーティストに」と、私は言ってきたんですけれど、この始まりには、まず「イメージありき」でしょう。
曽川 私も10年間、パラメディカルを業とする福祉関連会社の発展に、利用者側に立った視点から、どうすれば、よくなるのかという生活の質の向上(QOL)の道を切り開いてきました。しかし、前例がなかったわけです。私の場合はアートをクリエートするというのとは、ちょっと、違いますが、それでも、やはり、何もなかったところを作り出すのに、イメージというか、アイディアを、まず生まなければならなかったのです。
バル イメージを生むのは、結局、「人間が」でしょう。人間がいなければ何も生まれないわけです。私はアートをしてきたわけですけれど、その原点に「人間が好き」ということがあるのよね。
曽川 その点は私も共通しています。仕事で向かい合っているのは、モノではなく、生きたヒトです。私も人間が大好きです。バルーチャーさんは「生活のアート提案」を行っていますね。
バル ええ。マーク・アンド・コラージュ、そのようなことをやっています。
一つのイベントを開いて、私の作品を見てもらうと言うより、実際に筆をもって、書いてもらったりしています。そして、その書いてもらった絵を、次の段階ではびりびりに切り裂かせるんです。
曽川 え、切り裂く?
バル ええ。でも、自分が描いたものを切り裂くのには、抵抗があるの。
曽川 それはそうでしょう。
バル 「破壊」というと言葉は過激。けれど、それまでの自分を破壊することを、その過程を経て経験してもらうわけ。すべからく、過去の殻を脱ぎ捨てるということ。
曽川 ほお。
バル それで、びりびりに切り裂いた、その絵を今度はつなぎ合わせて新しい作品に仕上げる、新たな創造です。
曽川 そんなことを教えていらっしゃるわけですか。
バル ううん。教えるというのはちょっと違うわけ。とかく、習い事というのは、一つの角を上にし、二つ角を下にする上下のピラミッドを造るでしょう。でも、そのピラミッドをタテではなくて、ヨコにすることをわたしは考えてきたわけ。
曽川 上下関係で考えないと?
バル ええ、そう。近江八幡市総合介護市民協議会から市長への意見具申と市の対応で言われたことで、『自分よし、相手よし、地域よし、三方よしのまちづくり』というのがあるでしょう。ここでも、自分・相手・地域社会のトライアングルは、タテという立体上下ではなく、ヨコという二次元同一の高さということです。
曽川 その点は、私も、ずっと主張してきたことなんです。患者・治療者・保険者という関係があるとき、保険者は、保険金を払うことを「お上」という上から下ろす感覚でいるわけです。また、治療者も勘違いすると患者を診るという上からの立場となりやすいわけです。しかし、私はこれは違うと主張してきました。「上下の視点は撤廃されなければならない、皆、同じ視線の高さでいこう」というのが、常に言ってきたことなんです。
バル ボランティアなんかもそうでしょうね。ボランタリーというのは奉仕の精神だけじゃないと思うの。要は、ボランティアをやる側にも癒しがあると思う。
曽川 本当にそうです。治療者にしても、日々、患者に教えられているという報告を耳にしています。
バル そうでしょうね。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)というのは、ちょっと、聞くとすごく堅い感じがあるじゃない。でも、アートの世界にいる私の言葉で言えば、「今日、この時を、生き生き」とってことだと思う。福祉の現場で使うと誤解を招くかも知れないけれど、自分が楽しまない限り、相手に楽しいと思わせることはできないでしょう。エンターテイメントということだと思う。
曽川 その視点は大事ですね。治療者の立場で言えば、喜んでもらうところに、喜びがあるということになります。
バル 人間の尊厳から考えたら、健常者・障害者を優劣のような考えればおかしくなってしまう。リスペクトって、大切でしょう。
曽川 上下の関係でではなく、同じ視線に立って、相互に尊敬し合うということですね。
バル 私がアーティストとして考えると、人間が生まれ落ち、生きていること自体がアート。そこで、リスペクトって、大切でしょう。
曽川 素晴らしい言葉ですね。終末医療の現場で使われる言葉ですが「スピリチュアルニード」ということがあります。スピリチュアリティは、通常、「霊性」などと訳されるわけですが、ラテン語の Spiritus は「いのちの息吹」という意味です。人生にとって、重大な意味を持つわけです。そんなことが思い出されました。
実際に寝たきりになる、体がご不自由になる、それは身体介護といった支援が一般ですが、ここにいのち、こころということが考慮されなければ、ただの作業になってしまいます。スピリチュアルケアが考えられる所以だと思います。
患者さんの思いを、施術側が、ちゃんと受け止められるかどうかが大事なわけです。
バル 人間関係というか、社会というか、一つの世界の中にいると、周囲が見えなくなることがあるんでしょう。これではボランティアをする側も、受ける側もきつくなる。よんどころのない状況にある日本では特にそうでしょう。クリスチャンの国であれば、人々はボランティアもごく自然にやるでしょう。
ところが日本はどうもそうはいかないわけです。私は海外にいた時間が長かったでしょう。そういう客観的な視点から、日本という国を見ると、信仰を失っていると思うわけ。この信仰というのは、国家、個人に対するリスペクトとも密接に関係すると思います。
曽川 アートとQOLを考える会、まったく違うスタンスのように思えますが、このようにお話を伺ってみると、いまを生きる人間、その心、その身体が住む生活空間の質を、意識によって、どうクリエイティブに変化させていくのかという点で、実に共通していることがわかりました。

本日はありがとうございました。

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